2015年1月11日日曜日

目が覚めたようだ



痛みがあれば痛みを取り除きたいと思うし、その努力をする。
病であれば病を治したいと思うし、その努力をする。
そうしていれば病はいつか治るものだろうと思い、そのうちに思いに拍車がかかり、気がつけば治ることを熱望している。
しかし、治らないので、落胆する。

線維筋痛症が治癒する率は1割だそうだ。
「自分はその1割に入ると信じるんだ!」なんて勇気づけられたりもするが、現実は厳しい。
治癒に対する熱望が、かえって私の心や体を苦しめているように感じる。
健康は善で病は悪。そんな観念が絡みつき、いつまでも治らないことが苦しくなる。
昨年はとくにそんな状態だった。


この新年のはじめに、慢性疲労症候群・線維筋痛症とうまくつきあう方法》というサイトを知った。アメリカの医師が書いたものを日本の患者さんが翻訳したもののようだ。たっぷり31章にもわたって記されている。

線維筋痛症の現実がよく記述されてあり、何度も「うんうん」と頷いた。
活動するとぶり返しがくること(第13章)、認知障害のような頭のもやもやのこと(第7章)は私がとても苦しんでいることだ。

線維筋痛症の患者がどのように生活してゆけばよいかも細かく記してあり、第26章の〈喪失を深く悲しむ〉をヒリヒリした気持ちで読んだ。
その最後の方に〈受け入れ〉という箇所があった。

  • 生活が変わってしまったということを認める。
  • それは永久に長期間にだ。
  • 以前の自分の生活を諦める。
  • 想像していたような将来の生活を諦める。
  • 過去の自分にさようならを言う。
  • たぶん今後一生、ふつうの人とは違った暮らしをする。


残酷だがホッとした。
力が抜けて涼しい風が吹いたように、光が降って来たように感じた。

また、「治らないという落胆、自己憐憫が病の一部である」ともあり、大きく頷いた。厳しい痛みのなかで、そういう悪循環に陥っていることはよくあった。
治りたいと熱望していた。とくに「元のように活動したい」という望みは強かった。
それを、これからは、もう無理なのだと諦めるのだ。そこから始めるのだ。


第27章は〈新しい生き方を創造する〉。第28章から第31章にはその具体例が記されている。


見つけた。これがこれからの私の生きてゆくゆき方だ。

「新しい価値観で生きてゆくことを受け入れる」
文字にすると簡単なことだけれど、難しかった。4年かかった。
今やっと「そうしよう」と思えた2015年の年始である。


具体的に大事なことは、
  • 目標を実行可能なように低く設定すること。
  • こまめに休息すること。
  • よく眠ること。

これがなかなか出来なかったから、ここから始めます。


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