2011年3月20日日曜日


我が家から夫の両親の住む家まで、歩くと8分の距離である。
両親の家に、昼食を作りに通っている。
電柱もない一本道の両脇は田んぼと畑が広がっていて、その向こうには赤城山が見え、空が大きく広がっている。

いつもいつも空と土を見ながら歩いていた。
生活と切り離せなくて、いつも当たり前にそこにある、頼もしくて豊かな存在の土。

それが、3月12日以降、すっかり変わってしまった。

土に対してびくびくしてしまう。

乱暴な表現だけど「この土って汚れてしまったの?」と思うようになってしまったのだ。
信頼してたものが、恐ろしいものになってしまう。なんて悲しいことだろう。

土を見て、もう何度も何度もため息をついたことか。


2011年3月7日月曜日

なんにも出来ない

体が内側からも外側からも責められているように痛い。
何をしても響いて痛い。

この痛さでは制作ができない。
筆記具で紙に書くのも困難。
箸を使うのもままならならず、手やフォークで食べる。
キーボードを打つのも痛くてだめだ。
iPhoneの入力(フリック)もかえって痛い。
包丁を使うと痛みが響く。
フキンを絞れない。
洗濯バサミやクリップが痛い。
ジプロックを閉められない。
キャップが開けられない。
表面のツルツルしたコップが持てない。
コンセントを抜けない。
雑草をつまめない。
服の脱ぎ着が痛くて悲しくなる。

なんにも出来ないならば、本でも読もうと思うが、本を持っていられない。
ページをうまくめくれない…。