30年前に亡くなった祖父の墓石にいた蛙 |
祖母の葬儀があり、島根の山奥まで飛んで行った。
子供の頃、毎夏を祖母の家で過ごした。
祖母が亡くなり、島根の夏と再会することになった。
いよいよ最期かもしれない、といわれてから50日以上が経っていた。
雨降りならば痛みがひどく寝込んでしまう現状なので、島根までは行けるはずもないと思っていた。ところが、祖母が亡くなる数日前から葬儀の翌日まで、雲ひとつ無いと言ってもってもよいほどのカラッとした晴天が続いた!
我が家から羽田空港までバスや電車を乗り継ぎ4時間弱、羽田空港から米子空港まで飛行機で約1時間。
米子空港からは車で1時間半、安来を越えてさらに山奥まで入ってゆく。
子供の頃、毎夏を祖母の家で過ごした。
私にとって夏といえば島根の風景や日々が思い浮ぶ。
たくさんの緑、白い砂のような地面、きれいな水の川、明るい薄茶色の川底。
叔父や叔母やいとこたちも夏になると祖母の家に集まった。
東京育ちの私には、夢のような時間だった。
祖母が亡くなり、島根の夏と再会することになった。
山や田園風景はあの頃のように美しく、しかも夜はさらに美しい満月だった。
「おばあちゃんが、こんなに素晴らしい時に懐かしい人たちを集めてくれたんだ」
いよいよ最期かもしれない、といわれてから50日以上が経っていた。
雨降りならば痛みがひどく寝込んでしまう現状なので、島根までは行けるはずもないと思っていた。ところが、祖母が亡くなる数日前から葬儀の翌日まで、雲ひとつ無いと言ってもってもよいほどのカラッとした晴天が続いた!
私は遠くまで出かけることもできたし、道中もなんとか過ごすことができた。
「おばあちゃんのはからいだ」と思った。
95歳、最後まで天晴れなおばあちゃんでした。